ホンダの製品開発・生産方式

  • ホンダ生産システム
    • ホンダの生産や技術開発の歴史がわかる本。
      • 父親が自転車修理屋だったようで、幼いころから鋳物とかを見ていたらしい。
      • (1940年代後半)トヨタの下請けで、ピストンリングを作っていた東海精機(現在もある会社)時代の話も書かれている。そのころから、腕利きの技術者だったようで、石田退三社長が惜しい人を引き止められなかったと話していたとかの話がある。ピストンリングは、第二次大戦ごろは、先端技術だったようで、銀の値段ぐらいするそうであり、作成にかなり苦労し、東北大の本多光太郎とか、いろんな人に知恵を請いやっとのことで作った模様。また、そのころ真空管を使ってNC旋盤の走りの機械も作っており、豊田織機の人でも解析不能なぐらい難しい機械だったらしい。
      • (1952年)資本金が6000万しかないのに、54年までの3年間の逐次決済で最新鋭の機械設備を含む15億円の設備投資をした。これは、トヨタ日産よりも投資した金額。
      • (1954年)マン島のレースに出場するという宣言をした。ついでに、レースを見てきて、馬力が3倍近く、回転数も13000回転と、大幅に違う性能に圧倒された模様。
      • (1963年)名神高速道路が出来たころ、ためしに日本のクルマとバイクを走らせて見たところ、バイクは完走できたが、クルマはヒートアップしてしまった。このため、あわててトヨタと日産はエンジンを取り寄せてみて解析をした。そのころの日本バイクのエンジンは、クルマより数年進んでいた。
      • 上記以外に最近(2010年代)のLPL制度についても記述がありなかなか、情報が濃い本である。
  • ホンダの戦略経営―新価値創造型リーダーシップ
  • ホンダ イノベーションの神髄
    • エアバッグを開発した方のホンダでの開発の経験談。ホンダの話は、当事者の情熱がないと技術が受け入れられないという印象を強く持った。
  • 本田宗一郎から学んだモノづくりの極意
    • 本田の生産技術の考え方等がわかる貴重な本。1952年ごろの600万円の資本しかなかった時代に、4億5千万の工作機械を買ってどう使いこなしていたかが良くわかる。とはいえ、それまでの本田宗一郎の背景とかは、わからないのでそれは別途別の本で補う必要があると思う。
    • ホンダの社訓が面白い。時間と考えを惜しみなく活かせ。時間とは唯一の平等である。考え(アイデア)は無尽の財源なり。
    • 機械はホンダが、買ったときから自分のものだ。壊れてもよい。カタログの数値はメーカーの安全率があるから信用するな。常に最高スピードで加工せよ。
    • 治具は、どのように加工するかという自分の考え方の具現化である。治具を見れば、その工場の能率がわかる。
  • 経営に終わりはない (文春文庫)
    • ホンダの経営面を受け持った藤沢武夫氏の経験談
      • 昭和29年(1954)年の修羅場を乗り越えた時の話が、生々しく書いてある。6月10日の手形をようやく落としたとか、従業員に年越し金を5000円しか出せなかったとか。
        • 売れなくなった理由
          • 自転車に取り付けるエンジン(カブ号)が、競合が激しくなって売れなくなってきた。
          • ジュノオ号が、プラスチックで覆ってあるが、オーバヒートしやすくなって不振となった。
          • ドリーム号が、200ccから220ccにしてキャブレター不調で売れなくなった。
        • 3月にマン島レースへの参加を発表
        • 4月20日に、5日間200ccのドリーム号増産しその場をしのいだ
        • 5月のはじめに、ドリーム号220ccが不調の理由がキャブレターと判明
        • 本田宗一郎海外調査のため、外遊。(5月末ぐらいから6月?)その間に手形を落として、急場を回避。
        • どこでも倒産の憂き目をしのいでいるのだなと、微妙に納得。
  • かたちはこころ―本田宗一郎直伝 モノづくり哲学
  • ホンダの品質管理とものづくり
  • 「ひらめき」の設計図
    • 三代目社長の書いた戦略についての考察と、経験談マン島TTレースでの1万三千回転のエンジンを設計したときの話とか、4バルブのエンジンを作ったときの話とか、いろいろ経験をしてみるとわかることがあると感心した。失敗作だったがH1300の空冷エンジンは、問題山積してすごかったことが良くわかった。それにしても、本田宗一郎だけでなく、いろんな立場の人の経験談を見ると実態が見えてくるような気がして面白かった。